旅のイメージを哲学者の思想に近いものとして、表現しました。
 「何気なく、忙しく過ごしている日常。延々と続く日々」。その背後には意識していない旅が、今日も続いている。

 今回の作品づくりに、そんなイメージも込めました。
 
 参考にした景色は、網走市街を流れる「網走川」です。川を中心に街が東西に分かれていて、川には往来する幾つかの橋が架かっています。
 そのひとつ、「中央橋」をモチーフにしました。
 
 両側の欄干に、彫刻家本田明二作「朝翔」と「夕翔」が設置されています。
 昼に見た時とは趣が違い、夜の景観は街の灯りが川の面に写り、風のため波のように早い流れ。
 その中で静かに佇む彫刻作品、過去と未来が重なって見えるようでした。

 
 大正の初めごろに、米村喜男(きおえ)さんという、青年が北海道に渡り、この網走川の河口辺りの丘陵で貝殻層を見つけました。
 『モヨロ貝塚』といわれていますが、ここからオホーツク文化が語られてきました。縄文系ともアイヌとも違う石器や土器が出てきて、
 この場所でオホーツク人が生活していたのですね。

 その後、研究が重ねられ歴史的な裏付けの基に、流氷と共に渡ってきた人種が北海道のオホーツク沿岸に住み着いたという説です。

  オホーツク文化の発見は、とても魅力があり北海道の古代を偲ぶ網走川。私は心を動かされました。
 

 
 和紙を素材にして描いてみました(F10号)

旅に出るのは、いつもの生活から一刻離れて普段とはちがう時を過ごす、と言われています。

 哲学者の三木清「旅について」の随筆がありましたので抜粋します。
      (「人生論ノート」新潮文庫)

「旅は人生の姿である。旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粋に観想的になることによって、平生は何か自明のもの既知のももの如く前提されてゐた人生に對して新たな感情を持つのである。
 旅は我々に人生を味はさせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な速さや近さや運動に関係するものではないことを述べてきた。
 旅において出會ふのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出會ふのである。旅は人生の他にあるのではなく、むしろ人生そのものの姿である。」
見えない日常のたび