<仁淀川の由来>
いの町に行き、「淀川」との名前が気になりました。琵琶湖から流れて大阪湾に流れ込む「淀川」との関係があるのか、と思って
しまいました。以前に、熊本県の人吉市に行きましたが、その時のことを思い出したのです。人吉市は、小京都と言われています。
城の石垣が残っており、武家屋敷もあります。方言は熊本弁に近いのですが、表現がやわらかく公家言葉を思わせる、「上」を、
「うえさん」と話していました。理由は分かりませんが、鎌倉時代に、この地まで下った武家一族との説もあります。
早速、「仁淀川」について調べたところ、名前の由来説が、いくつかありました。簡単に要約すると、
この川に育った香魚(アユ)を宮廷の料として奉った「にえどの」が訛って、「仁淀」の名になったという説。
次のは、806年頃、平城天皇第三子の高岡親王が、唐国に行く途中、遭難してたどり着いたのが土佐。そこに流れている川が
淀川に似ていることから、今の仁淀川になったという説。
また、大神に捧げる酒を、この川でつくったのが「三輪河(みわがわ)」と読み、いつのまにか仁淀川となった、などの説があり
ます。
北海道にも、アイヌ語地名が、実に多くあり、漢字を当てて読んでいます。北海道に住んでいても、読めない地名も出てきます。
名前の由来を考えると、おもしろいですね。
<仁淀川での行事>
5月の節句には、空高く舞う「こいのぼり」。見慣れた風景ですね。ところが、いの町では、川の中で紙の「こいのびり」が
泳いでいるのです。
川底の石が見える清流に、土佐和紙での不織布で作った「こいのぼり」を、川に泳がせる行事「仁淀川 紙のこいのぼり」です。
町政100年記念として始まったそうです。和紙の文化を後世に伝えるため、毎年、続けられています。
「仁淀川橋」から、きれいな色を見せて泳ぐ「こいのぼり」を眺め、屋台も出る河川敷では、美味しいものを食べ楽しむのだと、
タクシー運転手さんのお話。私が「いの町」に行ったは、11月だったので見ることができず残念でした。