修造は1903年に富山県の医業を営む長男として生まれました。12歳の時に父が病死。19歳の時に母が急死しています。

20歳の時に慶應義塾大学文学部予科に入り、下宿で関東大震災に遭遇。(その頃は長髪で闊歩していたよう)

12月、大学に退学届を出し長女の嫁ぎ先、小樽に身を寄せて再起を図るのですが、23歳頃には姉の勧めで慶應義塾大学文学部に再入学しています。

在学中、詩人の西脇順三郎に学び、西洋の最新芸術、モダニズ詩やシュルレアリスムの動き知り、修造は近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家と知られるようになりました。

肉親の死亡などで少年時代に寂しい思いをした修造は、長女を母のように慕い小樽に特別な感情を抱いていたようです。
小樽を訪ねた真夏の日は、曇ったり、晴れたりする天気でした。

夕方に見た空です。
小樽市の花園公園「グリーンロード」の一風景を和紙を素材に描きました。(持ち歩きが可能な、F10号に決めています)
テーマは「ときの彼方へ」としました。

想像のモデルは、学生時代の「瀧口修造」です。

冬の景色を考えていましたが、テーマから、夏の景色に切り替えてやっと完成しました。

瀧口修造は1930年に、アンドレ・ブルトン著「超現実主義と絵画」を翻訳し、日本にシュルレアリスムを紹介しました。

修造は、小樽市にある蘭島海岸でシュルレアリスムに覚醒したと明言しています(詩人と美術 瀧口修造 図録より)

1925年に慶應義塾大学文学部に再入学し、夏休みには小樽の姉宅に帰って、蘭島海岸で読書をしていたであろう。そんな風景を描いてみました。


ときの彼方へ




















ブログに掲載しています。
<詩人瀧口修造が、小樽で過ごした跡地を訪ねて> 

http://blogs.yahoo.co.jp/reimei_tear_5/32429582.html @  http://blogs.yahoo.co.jp/reimei_tear_5/32456072.html A